2012年10月5日金曜日

映像と照明 境界線上のアリア

 積み重ねられた歴史の中で構築された仕組みが、技術の進歩とともに古くなるという現象が、舞台における映像セクションの不確かな立ち位置に垣間みる事ができる。

今、旧来のプロジェクション装置がデジタルプロジェクターへ置き換えられる可能性が高まる中、長い劇場の歴史において、これまで存在しなかった映像セクションの確立が求められているのは確かではないだろうか?

舞台における映像分野は、比較的新しいせいもあり、多くの劇場では映像という独立したセクションではなく、音響セクションの扱いという形が多数を占める。例えば、イギリスの場合、ナショナルシアターでは音響セクション、ロイヤルオペラハウスも同様、しかしロイヤルシェークスピアカンパニーでは、照明セクションらしい。
(Catalyst のRichard 談 )

しかし残念ながら、今の映像の効果は、より美術的であり、また照明要素が強く、より強く演出に関わるセクションに育ちつつある。そして、その分野では、デジタルコンテンツに対する知識、プロジェクションに関する知識、そしてメディアサーバーのような装置を利用する場合には、DMXに関する知識も求められる。よって、これらは現在の音響セクションに内包されるものではなく、新たなセクションとして確立すべきなのである。

この映像という言葉でくくられるこれまでの映像業界は、映画であったり、コーポレートイベントにおける映像機器レンタルや大型コンサートのカメラ映像を映し出すための大型LEDスクリーンなど、映像を効果として使うというよりは、カメラの映像やPVをきれいに見せることに重きが置かれており、その分野の人にとって劇場で行われる演出は、やや異質な世界にうつると想像する。

その意味では、 いわゆる映像業界の常識が通用しない世界が舞台であり、単に映像素材をよどみなく見せるのではなく、映像を使い舞台を魅せる事に、皆の価値基準は集約される。それは、これまでの映像機器のオペレーションでは不可能な事もありえるだろう。故に、この分野はこれまでにない新しいタイプの人材を要求するのである。この状況は、世界のどの劇場でも、日本と同様、難しい状況に置かれている。

今後、このセクションに関わる人は、映像業界からもしくは照明業界の両方から誕生するのかもしれない。そして、肯定的に捉えるならば、彼らはメディアサーバーを使いこなし、映像をより舞台の情景にとけ込む効果としてデザインできる人々になるのだろう。




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